markトーキョー難民ミュージックビデオ(PV)
You Tube HD: http://www.youtube.com/watch?v=ge3F04GYWfQ  
markトーキョー難民とは?
イミテーションとしてしか存在しえないホーム、そしてそれをよすがとする人々。
この曲はそういう人々(が仮にいるとして)を肯定する歌にしたかった。

2009年の1月。下北沢のスタジオでレコーディングしていたときのことだ。サンフランシスコから一時帰国していた在音さんに、世界をひたすら旅する曲がつくりたいのだけど良いビートはないか、と依頼した。在音さんは快諾してくれて、四月に再び会ったときにはほぼビートの原型は出来ていた。最終的に送られてきたオケに僕は興奮した。なにひとつ構成をいじることなく歌詞を大事に肉付けしていった。頭とお尻のヴァースは古地図などと睨めっこしながらの面白い作業だった。

例えば古い和歌の世界で詠われる望郷の対象は都にあった。やがて立身出世の時代には多くの若者が上京し、あとに残してきた田舎に思いを馳せたと思う。そして世界のボーダレス化が進むにつれて、人々は再び東京から此方彼方へと離散しては遠い都をしのんでいる、それが現代なんじゃないでしょうか。しかしそれは頭の上に拵えた、イミテーションとしてのトーキョーだ。なぜならばそもそもの結びつきがさほど強くないからだ。しかしトーキョーは何人も拒まないし、ひき止めることもない。たくさんの夢の遺灰で埋め立てられた、巨大な母なる国としてのトーキョー。綿毛のようにトーキョー難民は身軽だ。旅は疾走する。情緒は追いつかない。

君のホームはいったいどこにある?
ぐるぐるとあてどもない旅は続いて、降りたそこがきっと紛れもない「ホーム」だ。

- あるぱちかぶと 2010年2月

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